ごみ処理問題とリサイクル

こんにちは。


ごみ処理問題とリサイクルについての話です。


ある市では、ごみ処理を違う市に委託して処理しています。


この委託料金を節約する方法は、いうまでもなくごみの減量に努めることです。


同市の工場への搬入量を1トンでも減らせば、確実に1万4900円の節約につながります。


そこで同市ではリサイクルトナーを推進するなどしてごみ減量に積極的に取り組んできましたが、主要なものとしては次の2つの対策が実施されてきました。


第一は、有価物の集団回収の奨励で、現在は町会、子供会などの実施団体に回収量に応じてキロ当たり4円の奨励金を出しています。


集団回収の活動実績をみると、89年度の実施団体数が306というのは、人口28万人の都市としてはかなり多く、回収量も各品目で増えており、その総量は年8000トンに近づいています。


同じ89年度に市が同市が工場に搬入したごみ量(一般収集分)はおよそ7万4000トンだったので、これに対する集団回収量の比率は10・6%にも達しています。


これは全国的にみても抜群の好成績となりました。


また、これは経済的にいっても、1億1700万円近くもの焼却委託料の節減となっており、市が集団回収団体に支出する3100万円余りの奨励金を差しひいても市にとっては8500万円余りの節減になっています。


買収の合理性 4

危険を冒すことの配慮は、すくなくとも決定的な役割を果たしています。


犯罪を犯す危険は、警察と犯罪者の数に、つまり両者の比率に依存しています。


二役を演じる者が皆無であり、両者の役割がひんぱんに変わることがないと仮定すればの話ですが・・・。


もっと厳密に言うと、この危険は犯罪者がみずからが利用する権力のヒエラルキーのどこに位置しているかに依存しています。


犯罪者を訴追すること、とりわけ犯罪者を問いつめて白状させることは、犯罪者の数が多く、しかも警察が危険な捜査に踏みこむことのできない場所にかれらがいればいるほど、あきらかにますます困難となります。


しかも、警察の最高位にいる者は、自分で動く必要はないでしょう。


かれらはみずからの保護で食っていくとができ、下っ端の者を使って買収をおこなうことができるのです。


買収が一般化すればするほど、それは封建制度に似ています。


貴族は10分の1税が徴収される土地から離れて、賦役労働を故意にかつ横柄に無視して暮らすのです。

買収の合理性 3

明白な理由によって、この活動はメディアの暴露の対象となるよりもむしろ、大いなる科学的関心を集めました。


買収者と収賄者のカップルは、最近になって多くの光が当てられ、ついには2人の敵対者の行動の本質的な要因が実験にもとついて証明されるようになりました。


政治的・社会的環境がどうであれ、両者の契約は買収者にとっても収賄者にとっても、長所と短所をてんびんにかけるというロジックに従っています。


その価格はその他の多くの契約と同様に、買収の契約の中心にあるのです。


この価格は絶対的です。


その報酬が、提供されるサービスの本性に見合っており、それゆえこのサービスの提供を可能にする権力に見合っているかぎりにおいて、そうでしょう。


しかしこの価格は、2人の契約者にとって相対的でもあります。


収賄者は、「犯罪の金」と自分の合法的賃金額とをてんびんにかけます。


買収者は、犯罪の金を自分の原価に含めるのです。

買収の合理性 2

乱用は問題となっている2人の当事者(買収者と収賄者)の判断に、とりわけ収賄者の判断に依存していないでしょうか。


収賄者は権力の駆け引きに際して道徳的な正統性・・・家族の配慮、集団あるいは派閥への帰属、業務の指令を平気で利用します。


収賄者は自己自身のためではなく、かれが帰属する共同社会のために、しかも確固たる規範に則って、権力を行使するものとされています。


しかし、買収がきわめてあいまいな総体であるといっても、その核心部分がはっきりと浮き彫りにされるということには変わりがないでしょう。


たとえ核心部分を取り囲むぼかしが、商品取引の世界や感晴交換の世界とたえず溶け合うとしても、そうです。


サービスを無償で提供しなければならない者から、あるいはサービスを売ることを許されていない者からサービスを金で買う者は、確実に買収をおこなっているのです。

買収の合理性

同じ本性をもったべールが売春ほどきらびやかではないですが、買収の活動の周囲にもさかんにちらついています。


なんらかの政策を選択し、さらには実施するには最低限の正確さが必要とされますが、買収の領域はそれほど正確に限定することはできないでしょう。


もしもみずからの権力を行使するのとひきかえに禁じられた方法を用いてさまざまな報酬を手に入れる者を収賄者だとするならば、自分は正直者だと言い切ることのできる者はきわめてまれになるでしょう。


たとえ権力がごくかすかなものであり、ほんのつかの間のものであろうとも、権力の保有者をそそのかして権力を利用させ、ついにはそれを乱用させるまでにいたるというのは、権力の本質そのものではないでしょうか。


しかし、権力の乱用はどこから始まるのでしょうか。


権力の乱用は法律に抵触するのでしょうか。


それとも人びとの古い正義感に触れるだけなのでしょうか。


権力の乱用は、貨幣の代償というものさしによってのみ生ずるのでしょうか。


それとも現物的な利益周知のように、その種類はかなり広範なものですが、ともに生まれるのでしょうか。

収賄の資本主義

買収と売春は、歴史が古く、秘密が厳守され、社会秩序にきわめて貴重な寄与をなしているという点で共通しています。


世界と同じくらい古い慣行であるこの両者は、ぼんやりとした輝きにとり囲まれています。


この輝きはそれらを愛好する者にアリバイを提供してはくれても、それらを非難する者に探求の手を差し伸べてはくれません。


女が、さらには男がやってあげると約束し、確約し、あるいは同意するセックス行為からいかなる官能的快楽が得られるかはだれも知り得ないことです。


ましてやそれを評価することなどだれにもできません。


もっとも、はっきりとした契約がもっともひんぱんにおこなわれるというわけでもありません。


自分自身が愛されるようになることほど高くつくものはない、と考えることさえできるでしょう。

金融にとらえられた資本主義 3

わたしたちはすでにつぎのような予測をたてることができます。


この新しい家族資本主義が持続するとしたら、それは家族資本主義の地位向上の礎となっている積み木遊びをやめるだけの知恵をもつ場合だけだろう、と。


ですから、生産的資本主義(産業資本主義とはもはや言えない)の異論の余地なき勝利は、逆説的なことに金融資本主義の急成長をともなったのです。


この勝利は持続しうるのでしょうか。


それとも前世紀と同様に、遺産相続法が包み隠す生物学的偶然に脅かされた長期の社会的異議申し立てが生じてくるのでしょうか。


賭けの決着はつけられていません。


問題の権力は解き放たれています。

金融にとらえられた資本主義 2

料理には、いつも同じフォン(ソースや煮込みの下地に使う出し)が使われます。


とりわけ銀行からの組織的な借り入れというフォンが、それである。


かくして1990年代の初頭に、トリュンプ氏は32億ドルの負債を負いました。


これは3億7000万ドルの金融費用に相当します。


A・ボンド氏の負債はもっと多かったのです。


彼は55億ドルの負債を抱えました。


これは毎年6億ドル以上の金利負担を意味します。


あきらかにメディア化されたこの2人の人物は、奇跡的な、疑う余地のない成功を体現していました。


かれらは今日では破産しつつあります。


熱心な読者層を『フォーチュン』に引き寄せている億万長者の番付から消え去ってしまいました。


バブルがはじけるためには、銀行が前方逃避をやめるだけで十分だったのです。

金融にとらえられた資本主義

資本の核心部には、2つの著しい変化が見られました。


1つの変化は、現存の世界的寡占の形成を支配した集中化を所有の領域において反映した集中化です。


この集中化は、とりわけサービス活動における将来の寡占を用意しました。


もう1つの変化はそれは予測しがたいものであり、まったく斬新で、将来的に不確実なことであるがゆえに、おそらくもっとも興味深いものでありますが、多少とも重要な、しかしおびただしい数の個人的帝国の出現です。


この10年のあいだに、OPA、民営化、「生産構この再編をきっかけとして新しい個人的資本家が現れてきました。


これらの個人的資本家は急速に消え去ることになるのか、それともこれらの個人的資本家はとりわけヨーロッパにおいて、かつて消滅するか、あるいは手品をかけたように目立たなくなった家族資本主義の潮流をふたたび強化することになるのか・・・。


これを知るのはまだ早急にすぎます。


「新興の企業」の最近の世代は、独自な染色体をもっています。


その染色体のささいな長所は速度が速いということにあります。


19世紀の家族資本主義は、何人かの義理の娘や娘婿に支えられた父系制から構成されていました。


近年、金融の操作が10年足らずで家族資本主義を生み出しました。


ミレニウム/ビギン 2

サイモン&ガーファンクルの「ブックエンド」に続いて16チャンネルで録音された史上2枚目のアルバムであり、当時、CBSが最も金をかけたアルバムだとも言われているが、まったく売れなかった。

だが、同業者や評論家の評価は高く、モノラル録音のダイナミズムをステレオ録音で再現した最初のアルバムという声もある。

ミレニウムのデモ・テープなどを基にベッチャーとゲイリー・アッシャーがオーヴァーダブを重ねて作り上げたサジタリアスのアルバム『プレゼント・テンス』と共に60年代末のLAポップ工房の創造性と先進性を証明するソフト・ロックの名盤だ。