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2010年09月 アーカイブ

買収の合理性

同じ本性をもったべールが売春ほどきらびやかではないですが、買収の活動の周囲にもさかんにちらついています。


なんらかの政策を選択し、さらには実施するには最低限の正確さが必要とされますが、買収の領域はそれほど正確に限定することはできないでしょう。


もしもみずからの権力を行使するのとひきかえに禁じられた方法を用いてさまざまな報酬を手に入れる者を収賄者だとするならば、自分は正直者だと言い切ることのできる者はきわめてまれになるでしょう。


たとえ権力がごくかすかなものであり、ほんのつかの間のものであろうとも、権力の保有者をそそのかして権力を利用させ、ついにはそれを乱用させるまでにいたるというのは、権力の本質そのものではないでしょうか。


しかし、権力の乱用はどこから始まるのでしょうか。


権力の乱用は法律に抵触するのでしょうか。


それとも人びとの古い正義感に触れるだけなのでしょうか。


権力の乱用は、貨幣の代償というものさしによってのみ生ずるのでしょうか。


それとも現物的な利益周知のように、その種類はかなり広範なものですが、ともに生まれるのでしょうか。

買収の合理性 2

乱用は問題となっている2人の当事者(買収者と収賄者)の判断に、とりわけ収賄者の判断に依存していないでしょうか。


収賄者は権力の駆け引きに際して道徳的な正統性・・・家族の配慮、集団あるいは派閥への帰属、業務の指令を平気で利用します。


収賄者は自己自身のためではなく、かれが帰属する共同社会のために、しかも確固たる規範に則って、権力を行使するものとされています。


しかし、買収がきわめてあいまいな総体であるといっても、その核心部分がはっきりと浮き彫りにされるということには変わりがないでしょう。


たとえ核心部分を取り囲むぼかしが、商品取引の世界や感晴交換の世界とたえず溶け合うとしても、そうです。


サービスを無償で提供しなければならない者から、あるいはサービスを売ることを許されていない者からサービスを金で買う者は、確実に買収をおこなっているのです。

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